信楽焼窯元の大谷陶器 ようこそ、信楽へ
しがらき焼の昔話
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むかしむかし・その昔の信楽焼陶器の歴史 お話し

窯焚きトーハン 六十年の思い出
昔風チョッと大きめ 信楽便器
 
火鉢時代のわら荷造り
大正時代の女ロクロ師「おさださん」
世にも珍しい陶器製兵器

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■昔の資料からもとづいて
NO1 土堀 NO2土運び NO3土練り NO4ろくろ
※土堀 ※土運び ※土練り ※ろくろ挽き

NO5壺造り NO6登り窯 NO7窯焚き NO8荷造り
※壺造り ※登り窯 ※窯焚き ※荷造り
『昔の信楽焼、製陶工程絵図』 壺久郎著書



    見てネ! 起源と歴史
  • 天平14年(742年)聖武天皇が紫香楽の宮の造営に着手されたのが信楽の始まりです。
  • また、徳川時代には幕府直轄領として代官所がおかれるなど、由緒ある伝統の町です。
  • 聖武天皇が離宮を造営され、”紫香楽宮”という名を残した。その『しがらき』の呼び名は、奈良時代に樹林地帯として、山深く木々の繁ったころから、しげる木がしがらきの地名となったともいわれ、また山に囲まれた土地という朝鮮語の『シダラ』という言葉が、製陶の技術とともに伝わったともいわれています。   

 歴史その1・・・火鉢
  • 第二次世界大戦終戦後は、大流行して全国生産高の90%を占める大産地となり、明治時代から約百年間にわたり、信楽焼の主力製品となっていた火鉢は、電気、ガス暖房器具の発達によって昭和30年後半には、生産が完全に閉じられた。
ポンポコ狸
     
なまこ釉 雪丸火鉢》
明治中期に、なまこ釉薬が開発され
のち火鉢や植木鉢に用いられ信楽焼 
独特のカラーになった。 
戦後の火鉢
 歴史その2・・・タヌキ
  • 昭和26年11月15日、昭和天皇がこの地に行幸された時、沿道に旗を持った陶製たぬきが並んでお迎えした事が、天皇のお気に召して「をさなどき あつめしからになつかしも信楽焼の狸をみれば」と詠われ、それがマスコミにも宣伝効果を与え、以来全国的に信楽=タヌキが流行する切っ掛けとなった。
《昔のタヌキ》
 陶製置物は、江戸時代から造られている。

昭和初期の狸

  お客様から頂いた50年程前の珍しい手作り逸品狸写真
 
お客様から頂いた50年程前の珍しい手作り逸品狸写真
 歴史その3・・・カエル  
昔の蛙
  



  《昔の福カエル》
前足・・・礼儀正しく。
後ろ足・・・ジャンプ、前進あるのみ! 
子ガエル・・・子は親にしたがう。
目・・・前後左右、世の中を正しく見る。
口・・・パクリ呑み込む火災予防。
   それぞれに意味があり、効能があります。
 歴史その4・・・やきもの作り助手 こちらアシスタント
 
  歴史その5・・・信楽街道 こちら さあ〜信楽街道を探索しよう!!

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