信楽焼窯元の大谷陶器   昔風チョッと大きめ信楽便器

昔の便器
昔の便器

 「便器」といえば、
今は東陶や伊奈など大手のメーカーの、白色華やかな磁器製品を思い浮かべる時代であるが、信楽焼の便器も、結構沢山造られてきたことがわすれがちである。
 しかも、どちらかと言えばのぼったい感じの信楽製便器が、今でも多少造られ売り出されていることは、相手が美麗な品物だけに、よけい不思議な感じもする。
 汚い話になって失礼ではあるが、信楽便器は「カガミ」という部分が広いために、小便を外へ飛ばさないし、またご婦人方が、くるりと廻って立ち小便?ができる便利さも、信楽便器のカガミの広さゆえ、田舎ではやはり大きめの便器が好まれるそうです。今でも立派に商品として取り扱われています。
 この便器は、全て「型押し」による成型法で造られており、タタラを造ってから一枚ずつ型にあてがい、たたいて形を造ってゆくやり方である。だから、ろくろ成型のように多量には出来ない。上型と下型とを別個に造り、これを重ね合わせてつなぐ。脱型後に仕上げるのである。
 現在、こうした便器造りに携わっている人は、受注が少ないこともあるが、数人しかいない。
 江田の平尾仁市さん(明治三十八年生まれ、故人)は便器つくりに二十五年専念した人であった。
信楽便器には、中広、小広、孫広、並というふうに大きさは順に各寸法のがあるし、大便器も、昔は下箱と呼んだ角型のものと、前箱にオマルと呼ぶ覆いの部分のついた便器の二種類が造られていた。
 大便器の方は早くからその姿を消してしまったが、小便器は今でも商品として・・・
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