信楽焼窯元の大谷陶器      火鉢時代のわら荷造り

  「田んぼを見てても、この頃はワラが無くなったなァ」と昔をなつかしむのは、荷造りを三十五年やったという山本治郎さん(勅旨)。
荷造りをする人は昔から夫婦でコンビを組んで仕事をしている。山本さんもその例にもれず、妻きみさんと仲良く荷造りをしてきたのである。

 奥田金也さん、安田孫市さん夫婦もその例である。故人
助手の奥さんは輪まきをする。その輪を、荒ぐくりした底、合わし目、胴に巻きつけるのが主人の役目。輪まきも慣れないと、蛇が蛙を飲み込んだようになったり、細くなる所が太くなったりする。手指が荒れてアカギレするので困ったという。わらの短いのはやりにくいし、わらの良し悪しで仕事の効率も違った。

火鉢の荷造りの例として一半(尺七寸)などの本荷で荷造する時は、火鉢二個抱き合わせ、真中に二本、底に二本、中辺に二本の合計六本の輪を巻いた。北海道荷などは、特に長いのを使い二重に巻いた。

火鉢時代のわら荷造り
わらの荷造り
並荷の場合は中辺と底の合計四本のを使った。荷造りはできるだけ硬く〆ることと、歪みにならない様に注意した。
今はダンボールや木箱に入れている「へちもの」などは、当時大変だったそうです。
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